先々週に雨で祟られて断念した、登呂遺跡をクリアした。
はじまり
よく晴れた土曜日朝、僕は静岡県を目指した。
よく見える富士山に感銘しつつも足柄SAで休憩。
(このところ朝パスしてから出かけているので、時間稼ぎに都内は高速回避してるんです)
で、先週テストしていたアクションカメラをセット、撮影開始。
テスト映像(東名足柄SAから裾野IC付近まで
先週、埼玉で撮影していた時は防水ハウジングがガタガタ鳴っていたので対策した。
防水ケースが風防にもなっているので、音はちょっとくぐもっているけどエンジン音は録れているだろう。
あ、いっておきますけど、
まったりバイクを皆が追い抜いていくだけの、実に退屈極まる映像です念のため。
あくまでテスト映像なので。
ふむ。
高速ではやっぱり揺れるな。
裾野から登呂遺跡をめざす
裾野から下道を通り、富士市まで抜けてから国道一号線のバイパスに乗る。
昔は地図と首っ引きで抜けた道も、今はナビが案内してくれて助かります。
それでも途中ちょっと間違えたりもしたが、無事に久しぶり、富士川そばの道の駅に到着する。
さて、そんなわけで登呂遺跡を目指していった。
登呂遺跡にやってきた理由
とはいえ、僕が登呂遺跡にきたのは観光目的ではない。
もし観光目的で遺跡に行くのなら、今頃ナウマンゾウの骨を見に行ってるはずだ。
では何が理由かというと。
こいつだ。
登呂のところだけ何年も放置だったんですよ。
こいつを埋めに行ったんです。
登呂遺跡
そして、ものの見事に登呂遺跡に到着。
無事に駿河国をクリアできました。
次は遠江と伊豆をやろうと心に決めたけど、このペースだと何年かかるかねえ。
ま、いっか。
さて、せっかく静岡まで来たんだ、もう少しアシを伸ばしてから帰ろうと思ったんですが。
とりあえず道の駅でトイレにいこうってわけで、これまた久しぶりに国道1号線の宇津ノ谷にやってきました。
懐かしいな。
昔、国道で浜松往復していた頃は、時々休憩してたもんです。
ここを通ることで、いよいよ浜松に向けて爆走だーって感じだったなぁ。
(実際は、ここからが遠いんだけど。
途中、いくつもバイパスがあるのは伊達じゃないのですよ)
で、休憩しつつ地図を見ていて妙なもんに気がついた。
「あれ、ここって昔のトンネルあるんだ?」
これ、下りの道の駅にある、きれいな地図の横に今もある昔の古い案内です。
これを見ると、大正のトンネルと明治のトンネルってありますよね。
考えてみりゃ当然だ。
宇津ノ谷といや、実際には鉄道通ってないのに鉄道唱歌にも謳われてるってくらいの有名な東海道の難所なんですよね。
今は立派なトンネル通ってるけど、昔は険しい山越えをしていたわけで。
関東にも似たパターンのトンネルありますな?あっちは歩道トンネルになっちゃってるけど。
さすがに明治の古い隧道は、車両は入れないだろう。
けど車道の古いのなら行けそうだな。
じゃあってわけで、名前とヤマカンにまかせて、ここが旧道だろって道を地図も見ないで登っていったら、見事に発見しました。
宇津ノ谷・昭和第一隧道
一般には大正のトンネルと称するそうですけど、着工が大正時代というだけで実際は昭和五年の竣工です。
ただ、戦後に作られて今も下りトンネルに使われている昭和第二との区別で大正トンネルと宣伝しているものです。
ヒャッハー、なんか横に広いぞこいつ!
いやぁ、こいつぁいい隧道だ。すばらしい。
遠江方面の坑口。
昭和ひと桁のこんな田舎にしちゃ、この幅広さはちょっとすごい。
で、ほい動画も。
2018 1117 宇津ノ谷・昭和第一隧道(通称・大正の隧道)
この時代で、かまぼこ型とは珍しい。
改装したのかなと思ったけど、どうも違うらしい。
R246にも似たような隧道あるけど、こいつも特殊事情で最初から広く作ったみたいですね。
だけど、これでもR1の戦後の交通量にはたちまちパンクしたと。
さて帰るか。
ごくろうさま。