みかづきの色々

デバイス(スマホからキャンプ用品まで)とかプログラミングとか中心のいろいろ試験的なブログ。

そもそも、なんで僕がレブルというバイクが好きになったのか

ただのおっさんの昔話です。
時代は遠く、1986年くらいまでさかのぼります。

きっかけ1

上京前に地元であった何かのイベントのおまけみたいなもん。
どういう大人の事情かしらないけど、バイクメーカーが最新の新車の展示をするという、今ならちょっと考えられないような事をしていたんです。ホンダ・ビートやジャズ同様、出たばかりの旧レブルもありました。
まだ免許のない高校生でも触るだけなら、触らせてくれました。

自然なポジションがとても気に入り、免許とる機会があれば乗りたいなと心に刻んだのでした。
でも当時はそれだけでした。

きっかけ2

当時持っていたカスタムバイクの写真集です。
取材したカメラマンは米国を渡り歩き、そのへんの街角に始まり、面白いとこではソルトレイクから、日本ではほとんど知られていなかったサウスダコタのスタージスにも行って撮影しまくってきたらしい。膨大な米国の、日本ではまず見られなかった珍しいカスタムバイクがわんさと載っているムック本だった。

当然そこにはハーレーが多かったんだけど、当たり前だがそれだけではない。あらゆるオートバイがエンジン以外別物になっていその本は、まだ原付にも乗ってなかった当時の僕の心をかきたてた。

二輪免許取得とダブルスタンダード

MTX50Rとの出会いは二十歳の誕生日の一ヶ月前。はじめてのツーリングは二十歳の誕生日だった。
そこで怖い思いなどをした僕は原付の限界を感じ、また同じバイク屋の常連さんの乗るXL400Sに憧れ、ついに二輪免許を取得した。

だがこの時代に、僕の二輪感にはダブルスタンダードが発生した。

理由はオートバイの旅行本だ。
当時の旅行本は林道無宿の寺崎勉氏の本や、海外を旅する人の本の影響もあってオフローダーが多かった。そしてそれは、シンプルなマシンが好きという好みにも合致した。

また当時売られていた「アメリカンバイク」は、どいつもこいつも重くでかく、しかもアダルト狙いのせいか、妙に絢爛豪華なところがあったからだ。

そんな頃、僕はレブルというバイクと再会することになったのです。
ウイング店で見たホンダのカタログで。

旧型レブルとその別れ

レブルは軽量で適度に低く長く、シンプルなバイクで……それでいてなお、適度にかっこよかった。
随所に安っぽさもあったのだけど、これはいいと思わず唸る内容だった。
そして、初代XLR-BAJAからレブルに乗り換えるという、今にして思えばものすごい事をやった。納車の時などBAJA用の真っ赤な装備のままレブルに乗って帰ろうとしたら、クチの悪い店員に腹抱えて笑われたのを覚えている……いやまぁ珍妙だったのは事実ですけどね。

ただ無理もない部分もあったと思う。
レブルは確かに当時よく売れていたけど、当時はバイクブーム + レプリカブームの最前線。猫も杓子もフルカウルのレプリカモデルって時代であり、しかもそれはオフ車の世界にも顕著だった。
ホンダのオフローダーXLはもともとエンデューロレーサーXRの流れを汲んでいたが、いつのまにかXRそのものに保安装備をつけ、ナンバーをぶら下げるためにサブフレームに鉄板を一枚差し込み……とまぁ、要はちょっちょっと公道仕様にして一般人向けにギア比やシート、サイレンサー等を調整したバイクをXLRとして売るようになっていたのだから。

そんな時代の最新鋭マシンから、当時は親父バイクの代名詞だった250アメリカンに乗り換え。実際「まだ若いのに」って本人の前でしみじみ言われたくらいだった。

でも僕には、世の中の流行なんて全くどうでもいい話だった。
僕にとっては昔も今も、流行なんてのは「関連商品を書いやすくなるかな」って指標でしかない。

たとえば、占い関係でタロットブームというのがあった。
そのブームのおかげで、80年代の町田の東急ハンズで、アレイスター・クロウリーの『トートのタロット』が買えたのである。
わざわざネット時代でもないあの時代に、日本語訳の本もなく一般のタロットカードともかなり異質な、本物の黒魔術師とそのスタッフが作った大判のタロットカードなんて、当たり前だが国内に買おうなんて物好きが当時どれだけいたことか。

でも、僕は当時、なんとかしてこれが欲しかった。
僕は中学時代からタロット占いにのめり込み、怪しげな本についていたエジプト風カードに始まったのだけど、いわゆる占い用のタロットカードというのは、西洋魔術師などが正しいオカルトの知識で作られたものがいい事をすぐに理解した。なぜならタロット・カードには神秘学によく見られるシンボルが無数に、しかもちゃんと意味をもって描かれていたからだ。
だから、社会人になってから本格的なウエイト版も所有していたのだけど……一度でいいから噂の『トートのタロット』を手にして見たかったってわけだ。

で、ブームの影響のおかげで英語の手紙をやりとりして個人輸入しなくても五千円でゲットできたのである。
さすがに普通の店ではまずお目にかかれるものではなかったが。

話を戻そう。

レブルはBAJAより18cmもシートが低かった。
オフロード仕様のメットからジェットヘルに変更し、低いシートに座って走り出すと、そこはまるで別の世界。
近いアスファルトが、びゅんびゅん流れていく視界に驚いた。
80kmも出しているつもりでメーターを見たら60kmしか出てなくて目が点になった。
道端を歩く女の子がよく見えるなーと思っていたら、見事なタイミングで風でまくれたスカートの中身まで見えた。
バイクの上からそんなものが見える世界なんて、想像もしてなかった。
ただ目線が違うだけ。姿勢が違うだけ。
それだけなのに、これほども世界観が変わってしまうのかと。

とにかくレブルで走り回った。
ただレブルと過ごした日々は同時に、僕を旅へといざなってしまう事になる。
そして皮肉にも当時の僕の手元にあった旅のハウツー本は、旅に使うならオフロードバイクだと強く、強く勧める本ばかりだったのである。

ゆえに。
旅の決意が、旧レブルとの別れとなった。
89年のことである。

旅の日々の中で

レブルからXLR-BAJAに戻って旅立った僕だったが、すぐに判明したことがあった。
つまり、僕はBAJAの性能を活かす旅をしていないということだ。
他国ならともかく、日本で旅するなら道は圧倒的にアスファルトで、砂利道なんてわざわざ探して走る時代になっていた。
強いて言えば、テントで野宿地を探すには走破性が高いのは有利なんだけど、逆に言えば利点はそれだけだったのだ。
むしろ車高の高さが邪魔だったし、北海道などではさらなる問題も発覚した。
年季の入った旅人と行動をともにしたのだけど、彼らはほとんど法定速度、場合によってはそれ以下で走っていた。
で、そうして余裕をもって周囲を見て、面白そうなものを見つけたら立ち寄るのだ。

僕は大きな失敗を知った。
そして悩んだ末、旅の途中でBAJAを売り、そのお金でスーパーカブ90を買うという暴挙に出た。
さすがに、おもちゃのような足回りが頼りなくて失敗したかと最初思ったけど。
でもその選択が実に正しいことを、僕はすぐに知る事になる。

荷物満載のカブは飛ばせないし、足回りが追いついてないから無理がきかない。
特に当時のカブは50が基本だったようで、90は明らかにエンジン性能に車体が追いついてなかったのだ。90は飛ばすための90でなく、重い荷物を積んでも走れる + 原付の締め付けがないって意味の90だったんだろう。
このスタイルは僕に大きな影響を与えた。
一日の走行距離がだいたい読めるようになった。
野宿ライダーみたいなスタイルは捨てて、情報源からキャンプ場を探すスタイルにした。シーズンオフで閉鎖されている事もあったが、それでも近所の地元の家に声をかけておき、テントだけ張らせてもらったりもした。
わかりやすく、ヘルメットに「日本一周」とガムテープで手作りのロゴをつけた。
これは交渉の時なんかに非常に役立った。
実のところ、若者が小さなカブで日本一周しているという図は当時妙にウケがよく、好意的に見てもらえた事は一度や二度ではなかったからだ。

アメリカンバイクというもの

ちなみにこの時代に「レブル以外のアメリカン」も知る事になる。
二輪免許をとった時、自動車学校で乗ったSR125くらいしかアメリカンを知らなかったんだけど、いくつか乗せてもらって、いわゆるアメリカンモデルというものがレブルに比べると妙にクセの強いものである事を知った。
特にハンドル。
レブルのハンドルは軽いし、変なクセの強さも一切なかった。でもこれはアメリカンモデルとしてはかなり異質なものだという事も知った。

80年代という時代のアメリカは若者がバイクに乗らなくなりはじめた時代であったらしい。しかし世の中はレプリカブームで、あのハーレー・ダビットソンですら身売りするほどの状態だった。

そんな時代に「若者にもっとバイクに乗って欲しい」という意図で企画されたのがレブルだった。
当たり前だがレーサーレプリカというジャンルは禁欲的なまでに完全なスポーツマシンで、ジーパンにシャツで気軽に乗るに向いてない。
それは当たり前のことなんだけど、それでは一般人に売れない。
軽量化や故障リスク削減という名目はわかるが、バイクのそれは両極端に向かうもが多かった。
バッテリーまで削ってキック始動に回帰してみたり。
消音器に、わずか60グラムとスマホより軽いものを作ってみたり。
そんな先鋭的すぎる事は誰も望まなかったのだ。
(いやまぁ、キック好きの僕がいうことじゃないけども。軽いサイレンサーも欲しかったし)

逆にハーレー・ダビットソンに象徴されていた古き良きビッグツインもそうで、80年代の若者世代にはクセばかり強くて時代遅れに映っていた。しかも当時のハーレー・ダビットソンは品質も低下していたから、そういう悪評価にさらに華を添えてしまっていた。

そんな時代にレブルは生まれたのだ。

当時のREBELの和訳で「てやんでえ」というコピーがあるが、まさにレブルはそういうバイク。
過激な反逆でなく、あくまでわが道を行くバイク。
レプリカ?スクーター?知らんわそんなもん。
そういうバイクとしてレブルは、レプリカブームのさなかにひっそりと売り出されて……そして世界的ロングセラーとなった。
国によっては警察や自動車学校で使われていたというから、本当にどこでも素直で扱いやすいバイクだったわけだ。

帰還失敗した20年前

90年代後半、僕は旅ぐらしから戻ってレブルへ帰還を試みたが、20年前に一度失敗している。国内販売の終了だ。
長く乗りたいと思ったら部品がないのはまずいということで、レブルは外すことになった。
当時は中古のGB250に乗っていたが、やがて今乗っているCL400に進む事になった。
これは最初のXL400Sへの憧れの帰結であった。

そして

今回、久方ぶりに国内発売となった新型のおかげで帰還を果たそうとしているわけです。

あれから色々あった。
僕としては初心者にもどったつもりで、ゼロから楽しみたいと思っているところです。

レブルというバイクを思う時

新型レブルと旧型レブルに共通するのに「バイク離れする人々をバイクに呼び戻すための企画」というものがある。
実は新旧ともに、そういう意図で発売されたのである。
つまりあの外見も海外市場、特に北米むけのバイクだから。
旧レブルの時代にはローライドな容姿が人気だったわけだし、今の時代にはボバーが人気ということだし、わざわざVツインを採用しないのも「V型でないとダメ?はい、そういう方には他のマシンをオススメします」だからだ。

その結果。
今の新レブルも旧レブル同様、「濃いバイク乗り」へのウケは総じてよろしくない。
レブルを好意的に見るのは今も昔も「バイクに好意的だがバイク狂ではない人たち」なんだから当然だ。
それに加えるなら、今は僕のように旧レブルに乗ってた人くらいか。
ジャーナリストにだって「へー」で終わってる人も多いだろうし、なんで今さらレブル?他に売るもんあるんじゃねえのって冷ややかな意見も聞いた。
スポーツ車好きは目に入れず、アメリカン好きは鼻で笑い、総合バイク誌でも無視か、小馬鹿にしたような扱いだったり。

でも、これは当然だろう。
いわゆるエンスーになればなるほど魅力を感じないのは当たり前のこと。
だってレブルは昔も今も、エンスーよりも一般人を狙ったバイクなのだから。